ポルシェAG、ワークスドライバーのヨッヘン・マス死を悼む

モータースポーツの頂点に四半世紀近く在籍

ポルシェAGは5月4日、フランス・カンヌで逝去したヨッヘン・マス氏(78歳)の逝去を哀悼している。

ポルシェの元ワークスドライバーだったマス氏の逝去に際しポルシェは、彼の死により特別なドライバーを失うだけでなく、モータースポーツを形作り、情熱、経験、そして精密さでポルシェを豊かにし、刺激を与えた人物を失うことになったと述べた。

またポルシェ モータースポーツ担当副社長のトーマス・ラウデンバッハ氏は、「彼の訃報に深く心を痛めています。ヨッヘン・マスは奥深いドライバーであり、他に類を見ないほどクルマを理解することができた人物でした。

彼はテクノロジーに対する優れた感覚と、チームを強くするあらゆる要素を備えていました。私たちは、長年共に歩んできた素晴らしいドライバーであり、信頼できる仲間を失うことになりました。

彼の功績は、成功だけにとどまらず、記憶、物語、そしてモータースポーツに対する彼の考え方の中に生き続けています。ご遺族に謹んでお悔やみ申し上げます」と語った。

マス氏は1946年9月30日、オーバーバイエルン州ドルフェンで生まれた。彼のモータースポーツへの人生は、レーシングマシンのコックピットではなく大海原から始まった。

若い船乗りとして、彼は3年間世界一周航海を経験したのだ。その後、彼はテクノロジー、そしてサーキットに魅了され、自動車整備士の見習いも経験している。

1968年、アルファロメオのレーシングドライバーの代役でステアリングを握ったことが人生の転機となった。それは綿密に計画された末のデビューではなく、偶然の重なりから生まれたものだったが、結局、それが並外れたキャリアの始まりとなった。

その後の彼の成功は言うまでないことだ。1972年にはヨーロッパツーリングカー選手権でチャンピオンに輝き、F2ではヨーロッパ選手権で準優勝。1973年からはF1に105回出場し、1975年にはスペイングランプリで優勝した。シューマッハ時代までは、ポイント数でドイツF1ドライバーの中でも最も成功を収めたドライバーだった。

しかしそんなマス氏が、真の居場所を見つけたのはポルシェから参加した耐久レースだった。1976年から1987年に掛けて彼はワークスチームの正式メンバーとして活躍した。

935、936、956、そして962といったレーシングカーのステアリングを握り、ジャッキー・イクス氏などのドライバー仲間と共に連戦連勝。

チャンピオンシップをリードし、彼の名前はポルシェの代名詞となった。またポルシェがロスマンズとのパートナーシップを結んだ際、その結束を固めるために貢献したのがマス氏だった。

その後の1992年、マス氏は現役を引退した。ここに至る彼の記録は輝かしいもので、400を超えるレース、105回のグランプリスタート、71回の世界選手権ポイント、ドイツレーシングチャンピオンシップ優勝、ヨーロッパツーリングカーチャンピオン、ポルシェカップ優勝、ドイツスポーツカーチャンピオン、ザウバーメルセデスでのルマン優勝などがある。

引退後も講演活動、ヘリテージアンバサダー、世代間の架け橋としてもレースと関わり続けた。レトロクラシックスなどのトレードショー、クラシックカーイベント、ポルシェヘリテージミュージアムが主催するメディアイベントなどでは、あらゆる年齢の人々が彼のユニークな話に喜んで耳を傾けた。

ヨッヘン・マス氏の遺族には、妻ベティーナさんと4人の子供がいる。ポルシェAGは、感謝と敬意、そして深い愛情を込めて家族の一員の死を悼むと結んでいる。