軟X線発光分光法によるリチウムイオン電池充放電機構の解析で、リチウムイオン電池電極材料の構造安定性に寄与
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(本部:茨城県つくば市、理事長:中鉢 良治、以下、産総研)は、機能性材料の構造安定性を解析するため、放射光軟X線発光分光を用いて各元素の電子状態を詳細に分析する手法を開発した。
ちなみに近年、電気的エネルギーの高密度貯蔵が可能なデバイスとして、リチウムイオン電池を中心に二次電池への期待が高まっている。
また、これまでのリチウムイオン電池の性能を大きく超える革新的な二次電池の開発へ向けて、現状のリチウムイオン電池の各要素技術に於いて、基礎的・学術的な理解に基づいた理論・原理に立脚したイノベーションによる材料開発が求められている。
しかし、複雑な充放電反応機構に基づくリチウムイオン電池には未解明な要素が多く、原理に基づいた理論的な材料設計指針の確立が困難な状況にあった。
そうしたなか、産総研の省エネルギー研究部門(研究部門長:宗像 鉄雄)のエネルギー界面技術グループ(朝倉大輔主任研究員、細野英司主任研究員、松田弘文研究グループ長)は、チウムイオン電池の正極材料に着目。
放射光X線吸収分光による解析に加えて、着目する遷移金属と酸素間の電荷移動効果を直接的に観測できる軟X線発光分光を用いて、リチウムイオン電池の正極材料の原子間の結合の強さを判定する方法を考案した。
これにより充放電前後における結合の強さの変化量が充放電繰り返し特性と相関していることを見いだした。
具体的には、大型放射光施設SPring-8の軟X線ビームラインBL27SUの放射光軟X線発光分光によって得られた発光スペクトルの電荷移動効果に注目。
結晶を構成する元素間の結合の強度を電子状態から議論し、電極材料の構造安定性と充放電サイクル特性とを関連づけた。
今回開発した同手法は、電子状態の理解に基づいた高い充放電サイクル特性を示す革新的リチウムイオン電池材料の開発への貢献が期待されている。
例えば、代表的な正極材料のひとつであるマンガン酸リチウム(LiMn2O4)では、一部のマンガン(Mn)をアルミニウム(Al)などの異種元素で置換すると充放電繰り返し特性が改善することが知られている。
LiMn2O4の半数程度のMnが+3価(Mn3+)、残り半数程度のMnが+4価の状態をとっているところ、不安定な+3価のMn3+の一部を安定な+3価のAlで置き換えることで、構造安定性が向上することに起因すると明らかにされている。
図1は、今回合成したLiAl0.2Mn1.8O4(置換体)とLiMn2O4(無置換体)電極材料を用いた電池セルに対し、充電と放電を交互に繰り返した際の充放電容量の変化を示し、電極材料のサイクル特性を表したものである。
置換体を用いた電極材料では、容量の繰り返し特性が大幅に改善されていることが分かる。
その一方で、無置換体では、1サイクル目の充電後の容量と、その後の放電の容量とに大きな差があり、特に1サイクル目で大きく容量が低下していることが分かる。
リチウムイオン電池の正極では、1サイクル目の充電によってリチウムが正極から引き抜かれて、初めて高エネルギー状態となり、初回の充電と放電反応による初期状態からの変化は大きい。
そのため、第1サイクル前後の電子状態や結晶構造の変化を詳しく調べることとした。
この目的を達するため、置換体と無置換体それぞれの初期状態と1サイクル後(放電状態)の試料に対し、Mn元素を選択して軟X線発光分光測定を行った。軟X線発光スペクトルでは、図2に示すように入射光と発光のエネルギーが等しいときに生じる弾性散乱ピーク、Mnの電子軌道に由来するピーク、Mnと酸素間の電荷移動に由来するピークが観測されるが、同研究では、電荷移動由来のピークに着目して解析を行った。
充電前の初期状態では、置換体と無置換体のいずれも全体にわたって同様の発光スペクトルが得られ、Al置換の有無によらずMnの電子状態はほぼ同一であることが判明した。
置換体では1サイクル後も、発光スペクトルがほとんど変化しておらず、充放電前後で電子状態が可逆的に変化していることを示している。
一方で無置換体においては、1サイクル後にMnと酸素間の電荷移動に由来するピーク強度が減少していた。
これは、1回の充放電サイクル後は、酸素からMnの電子軌道への電子の飛び移りが減ったことを意味しており、Mnと酸素間の電子軌道の重なりが初期状態よりも小さくなり、Mn-酸素間の結合が弱くなっていることを示唆している。
X線回折による結晶構造解析の結果から、1サイクルの充放電によりMn-酸素間の結合が大きく伸縮することが分かっており、軟X線発光分光の電子状態結果を支持している。
二次電池電極材料の電子状態の分析にはX線吸収分光などが広く使われているが、軟X線発光分光の電荷移動に由来するピークを調べることで、充放電サイクル特性に関わる情報が得られた。
革新的なリチウムイオン電池材料の開発が望まれる中、今回開発した手法は、サイクル安定性の解明にとどまらず、高エネルギー密度材料についても電子軌道レベルから解析することにより、材料を構成する要素の極めて微小なレベルからの革新的な電極材料開発指針の構築につながると考えられる。
今後は、電池を動作させた状態で、元素ごと、電子軌道ごとの詳細な電子状態を解析するオペランド測定を行い、リチウムイオン電池の正極材料や負極材料の充放電機構の真の理解に努めていくとしている。
なお、同技術詳細は、2017年5月25日に英国王立化学会の物理化学分野の専門誌「Physical Chemistry Chemical Physics」のオンライン版にて公開された。
また研究開発は、経済産業省の委託事業「革新的なエネルギー技術の国際共同研究開発事業(平成27~31年度)」、と公益財団法人 服部報公会工学研究奨励援助金による支援を受けて行われたものである。
以下については記事に出現した用語詳細となる。
※放射光
電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、赤外線、紫外線、X線など、さまざまな波長の光を含んだ細く強力な光(電磁波)のこと。
※軟X線発光分光法
医療検査などに用いられる通常のX線よりもエネルギーが低く(波長が長く)、大気中を透過できないエネルギー領域の光を軟X線と呼ぶ。
軟X線を物質に照射すると、電子の放出、発光、イオンの生成など、さまざまな現象が生じる。軟X線発光分光法は、軟X線を物質に照射することで生じる発光を測定して、電子状態を元素ごとに調べることができる。
※電子状態
物質を構成する原子中の電子のエネルギー状態やその分布。電子がどのようなエネルギーを持ち、どのように詰まっているかによって、例えば、金属的、あるいは絶縁体的になるかなど、その物質の性質が決定される。物質の性質を理解するためには、電子状態を調べることが極めて重要である。
※リチウムイオン電池
パソコンや携帯電話などの小型電子機器をはじめ、ハイブリッド自動車や電気自動車などにも用いられている、電解液中のリチウムイオンが正極(+)と負極(-)の間を行き来することによって、電気をためたり(充電)取り出したり(放電)できる電池。
※正極材料
電池の正極(+)の反応を担う材料。リチウムイオン電池正極の場合、充電反応は正極材料からリチウムイオンが脱離すること、放電反応は正極材料へリチウムイオンが挿入されることに対応する。
一方、負極(-)の反応を担う材料は負極材料と呼ばれ、上述の正極材料の反応と逆の反応を示す。また、正極材料・負極材料を総称して電極材料と呼ぶ。
※遷移金属
元素周期表の第3族元素から第11族元素の間にある金属元素のことを差し、マンガン、鉄、コバルト、銅などが該当する。
※混成軌道
マンガン、コバルトなどの第4周期の遷移金属で、最もエネルギーの高い電子が収納された軌道は3d電子軌道である。また、炭素、窒素、酸素などの軽元素の、最もエネルギーの高い電子が収納された軌道は2p電子軌道である。
通常の酸化物などでは、遷移金属の3d軌道と酸素の2p軌道が混ざり合い、電子をやりとり(共有)することで化学結合が維持されている。この混ざり合った電子軌道を混成軌道と呼ぶ。
※電荷移動
混成軌道上で電荷の再分配が生じ、原子間で電子が移動すること。酸化物の場合、酸素から遷移金属に電子が移動することが多い。
※SPring-8
SPring-8は兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高水準の放射光を生み出す理化学研究所の施設。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いて、物理、化学、生物などの基礎研究から、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
※充放電サイクル特性
充放電を繰り返していった時に電極性能がどの程度劣化するのかを判断するために、一般的には、充放電容量の推移を調べたものを充放電繰り返し特性としている。
※エネルギー密度
二次電池において、充放電によって電池に蓄える/電池から取り出すことができる電気量を充放電容量と呼び、電気自動車の航続距離や、スマートフォンやノートパソコンの稼働時間に直結している。
この充放電容量に動作電圧をかけたものをエネルギー密度と呼ぶ。重量あたり、あるいは体積あたりに蓄えることができるエネルギーを指す。
※X線吸収分光法
X線を物質に照射し、どのようなエネルギーのX線がどの程度吸収されるかを測定して電子状態を元素ごとに調べる手法。
※マンガン酸リチウム
化学式LiMn2O4で表される、リチウムオン電池の代表的な正極材料の一つ。同様に代表的な正極材料であるコバルト酸リチウムと比較すると、コバルトよりも安価なマンガンから成る点が特徴である。
※革新的なエネルギー技術の国際共同研究開発事業
平成 27 年度より経産省受託「革新的なエネルギー技術の国際共同研究開発事業」において、産総研は、宇宙航空研究開発機構・宇宙科学研究所(再委託先:長岡科学技術大学)と共同で「過酷温度環境作動リチウムイオン二次電池の開発」に取り組んでいる。
※弾性散乱
X線や電子、中性子などの粒子線が、対象と衝突後にエネルギーを失わずに散乱される現象。一方で、対象中の電子等と相互作用した結果、入射粒子線がエネルギーの一部を失う(エネルギーの一部を対象に与える)散乱は非弾性散乱と呼ばれる。
今研究の軟X線発光分光スペクトルで観測されたMnの電子軌道に由来するピーク、Mnと酸素間の電荷移動に由来するピークは非弾性散乱に相当する。
※オペランド測定
電池やトランジスタなどのデバイス中の特定の素子(例えば、電池であれば電極、トランジスタならゲート電極など)を分析する際に、デバイスを分解せず、さらにデバイスを動作させた状態で(例えば、電圧印加、電流印加などを施した状態で)、目的の素子に対してX線などを使って分析を行うことを指す。