ヤマハ発動機、2輪グランプリで通算500勝を達成


ヤマハ発動機株式会社(本社:静岡県磐田市、社長:柳弘之、以下、ヤマハ発動機)は5月21日、フランスのル・マンで開催されたMotoGP世界選手権・フランスGPに於いて、ヤマハファクトリーチーム「Movister Yamaha MotoGP」から「YZR-M1」で参戦するマーベリック・ビニャーレス選手が優勝したことでモーターサイクルレース史上に残る、グランプリ通算500勝を達成した。

モーターサイクルレースの国際統括機関である「国際モーターサイクリズム連盟(FIM)は、ヤマハ発動機が125㏄クラスで47勝、250㏄クラスで165勝、350㏄クラスで63勝、500㏄クラスで120勝、MotoGPクラスで105勝を獲得し、今年で世界選手権が始まって以来69年目を迎えるとも云われるグランプリに於いて、合計500勝を達成したことを正式に発表した。

バレンティーノ・ロッシ選手は、全ヤマハライダーのなかでも最高の成功者のひとり。

初めて「YZR-M1」で出場した2004年の開幕戦・南アフリカGPで優勝を飾って以来、合計55勝を挙げ、500勝達成に大きく貢献した。

また、ビニャーレス選手は、今シーズンから「Movistar Yamaha MotoGP」の一員として5レースに出場。開幕からここまで3勝を挙げ500勝を実現した。

その他の優勝者には、ホルヘ・ロレンソ選手(44勝)、フィル・リード氏(39勝)、エディ・ローソン氏(26勝)、ウェイン・レイニー氏(24勝)、ケニー・ロバーツ氏(24勝)、ビル・アイビー氏(21勝)、カルロス・ラバード氏(19勝)、ルカ・カダローラ氏(13勝)、ジャコモ・アゴスチーニ氏(12勝)を含め、多くのライダーが名を連ねている。

なおヤマハ発動機は、この500勝達成を記念して特設サイト(英語)を公開。500勝にまつわる当社のグランプリレース史を物語る映像や写真、そしてその快挙達成に貢献したライダー、マシンの概要を紹介している。

ヤマハグランプリ500勝達成記念サイト:
https://www.yamahamotogp.com/500-victories 

なお以下は、今回500勝を迎えたことに対する関係並びに功労者たちのコメントとなる。

柳 弘之談(ヤマハ発動機・代表取締役社長)
「日頃より当社のレース活動にご支援いただき誠にありがとうございます。

世界選手権ロードレース通算500勝の達成に際し、スポンサー、サプライヤー、そして世界のヤマハファンの皆様のご支援・ご声援にあらためて御礼申し上げます。

1955年に創立した当社が、世界GPに初めて挑戦したのは1961年ことでした。“世界に通用するものでなければ商品ではない”という創業者の強い意志を若い会社が全社で共有し、事業活動の開始からわずか6年で世界最高峰の舞台に打って出たのです。

初優勝は1963年、第5戦ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)の250㏄クラスでした。日本人ライダー伊藤史朗選手の優勝によって、500勝への第一歩を踏み出したのです。

半世紀を超える最高峰でのチャレンジの中で、ヤマハレーシングの名のもとに勝利を目指してきたすべてのライダーとパートナーの皆様、オーガナイザーをはじめとするレース関係者、そして歴代のヤマハ技術者たちの情熱にあらためて敬意を表します。

当社はこの節目を新たなスタートに、次なる1勝に向けてたゆまぬ技術革新を進め、企業目的である感動創造と、ブランドスローガン“Revs your Heart”の実現を目指してまいります。今後も変わらぬご支援・ご声援をよろしくお願い申し上げます」

辻 幸一談(ヤマハ発動機・MS開発部部長)
「はじめに、このような記念すべき日に立ち会えたことをうれしく思うとともに、この記録を作られてきた先人の皆様のご尽力を称え、感謝いたします。

1961年に世界GPに参戦を開始し1963年にこの500勝への第1歩となる1勝目を250ccクラスで挙げて以来54年。

当社は常に勝利を目指し“ライダー”を主役として位置づけるマシン開発を行ってきました。

この結果、記録だけでなく、記憶に残るマシンを世に送り出し続けることができたと感じています。マシンだけではありません。YPVS、DELTABOXフレーム、モノクロスサスペンション、クロスプレーンクランクシャフト等、マシンを支える技術もレースを通じて世に送り出し、市販車へのフォードバックも積極的に行ってきました。

これらのレース技術をお客様自身が体験できるようになったことで、モーターサイクルレースを身近に感じていただけるようになり、世界中の皆様にその面白さを伝えることができたと思います。

500勝は単なるマイルストーンに過ぎません。これからもヤマハ発動機は技術を通じてモーターサイクルレースの面白さを皆様に発信するとともに、より多くの勝利を掴んでいきたいと考えております」

リン・ジャービス談(ヤマハ・モーター・レーシング、マネージングダイレクター)
「グランプリ500勝という、非常に価値のある記録が達成されましたが、これを機に、一度立ち止まってこれまでの歴史を振り返ってみました。

1回のグランプリ優勝のために、我々チームの努力をふまえると、この500勝の間にどれだけのエネルギー、忍耐、血と汗と涙が注ぎ込まれたか図り知ることはできません。

モータースポーツは、技術が大きな役割を果たす競技ではありますが、勝利はそれに携わった人々の資質、エネルギー、そしてなによりチームワークによってはじめて達成されるものなのです。

ライダー、技術者、メカニック、エンジニア、設計者、オフィススタッフ、ホスピタリティースタッフ、ライダーのサポートスタッフ、広報チーム、サプライヤー、テクニカルパートナー、スポンサー、そしてマネジメントのすべてが、それぞれ重要な役割を果たしています。

私は、この歴史的快挙達成の一翼を担うことができたことを誇りに思うとともに、一つ一つの勝利に関わった一人一人に、そしてすべてのライダーに祝福を贈りたいと思います」

バレンティーノ・ロッシ選手談(Movistar Yamaha MotoGP/ヤマハ通算55勝)
「ヤマハの500勝達成にあたり、僕がそのなかで最高の勝利数を獲得していることを心から誇りに思います。

僕はヤマハで合計55勝を挙げましたが、それぞれの喜びの瞬間は良い思い出であり、長年にわたってヤマハに乗り続けられたことを本当にうれしく思っています。

ヤマハライダーであることは、すばらしいバイクに乗れるばかりでなく、このチームの一員でいられるという意味でも、特別なことなのです。

今日の500勝達成に際して、僕自身は表彰台に立つことができず非常に残念でしたが、これからもヤマハYZR-M1とともにレースを続け、さらに優勝回数を増やしていきたいと思います」

マーベリック・ビニャーレス選手談(Movistar Yamaha MotoGP/ヤマハ通算3勝)
「ヤマハのグランプリ通算500勝達成は、とてもすばらしいことです。僕らも今回はいい仕事ができて、この重要なレースで大切な役割を担えたこと、そして、この歴史的快挙に立ち会うことができ、ヤマハとともに歴史を刻んだことがとてもうれしいし“ヤマハファミリー”の一員になることができて本当に幸せです」

フィル・リード氏談(ヤマハ通算39勝)
「初めてヤマハから日本への招待を受けた時はとてもエキサイティングだったし、鈴鹿での初のグランプリはすばらしいものでした。

鈴鹿でのレースとテストの後にヤマハ本社を訪問した際、5戦をファクトリーがサポートしてくれる条件で1964シーズンのオファーを受けました。

序盤は容易ではありませんでしたが、もしさらなるサポートを受けていたなら、もっと勝利に貢献することができたことでしょう。しかし125cc・250ccクラス優勝で500勝の達成に貢献できたことをうれしく思います。

そしてヤマハのGPチーム、特にリン・ジャービス氏が率いる現Yamaha Motor Racingは、統率が取れたとてもすばらしいチームです」

ウェイン・レイニー氏談(ヤマハ通算24勝)
「ヤマハのDNAはレースです。ヤマハと24勝をともに挙げましたが、レースのたびにそのDNAを強く感じてきました。

それは、マシン、私自身、チームから大きなパフォーマンスを引き出してきたのです。ヤマハはプロジェクトに専心してくれ、私たちはすばらしいチームになりましたが、この努力なしでは、私は勝利を挙げることができなかったことでしょう。

ヤマハは偉大な会社であり、いつも親切に迎え入れてくれて、居心地の良い場所でした。

すべては勝つために、私やすべてのライダーに勝つチャンスを与えるために邁進してきたヤマハをすばらしく思います。グランプリで優勝することは、ライダーにとって最高のことであり、500勝達成に貢献できたことは誇りに思います」

ケニー・ロバーツ氏談(ヤマハ通算24勝)
「ヤマハには感謝してもしきれません。ヤマハは日本の大企業であり、ヤマハ社員の仕事に対する取り組みはすばらしいと思います。

またヤマハはグローバルなモーターサイクル企業であり、だからこそレースの世界で多くの勝利を挙げてきたのです。

私はいつもヤマハファミリーの一員ですし、ヤマハとともに歩んでいた頃は人生最高の時でした。

これからもそうでしょう。そしてこれまでも現在もすばらしいライダーたちがヤマハにはいます。これもまた私にとっては誇りです」

カルロス・ラバート氏談(ヤマハ通算19勝)
「クランプリ通算500勝達成おめでとうございます。私の15年にわたるレース人生の内、12年をヤマハとともにレースできたことは誇りです。

また、ヤマハがこれまで、そして今日、私に与えてくれたすべてのことに感謝します。私の19勝は大海の一滴にすぎませんが、偉大なチャンピオンたちとともにこのすばらしい記録の中に名を残せたことをうれしく思います。

ヤマハのレースに携わってきたすべての人を祝福するとともに、次の勝利を祈念します」

ルカ・カダローラ氏談(ヤマハ通算13勝)
「ヤマハのグランプリ優勝者の一人であることは、この上ない喜びです。他メーカーでもレースをしてきましたが、ルカ・カダローラは“ヤマハライダー”だと思っています。

なぜならヤマハは、私の家族だからです。レイニー、ロバーツ、バレンティーノなど、同じプレスリリースの中にコメントできることを誇りに思います。

私の250ccクラスでの優勝は、1990年のニュルブルクリンクと鈴鹿での勝利です。どちらもキャリアのなかで最高の思い出です。

今も心に残るのは、アメリカ人以外で初の勝利となった1994年のラグナセカです。ヤマハがヤマハたる所以は“ライダーにベストバイクを提供する”“ベストなバイクを創り上げる”その哲学です。

現在はYamaha Factory Racingで最もヤマハに勝利をもたらしたライダーと働いています。当時とは違う種類の誇りではあるけれど、ライダーであったときと同様、今も情熱を持って戦っています」

ジャコモ・アゴスチーニ氏談(ヤマハ通算12勝)
「私にはヤマハと過ごした日々に、数々の美しい思い出があります。1974年にMVアグスタを去り、ヤマハに移籍を決めたときは心配もありましたが、来日し、ヤマハのマネジメント、エンジニアと会ってその心配は払拭されました。

私を大切にしてくれる姿をみて、新しい家族ができたと思いました。一緒にバイクを作りあげ、デビュー戦となったデイトナ200では優勝を果たしました。

技術のパイオニアであり偉大なメーカーであるヤマハのライダーであることは大きな誇りです。

ヤマハに初めて最高峰のタイトルもたらし、2度チャンピオンになりましたが、500勝達成はすばらしい仕事、技術、プロフェッショナルな決意の結果です。最後に、忘れないでください。“あなたたちは勝つためにここにいる”のです」