レーシングカーの開発で世界に挑戦して40周年、世界規模のカーボンコンポジット会社との協業で競争力強化を目指す
株式会社童夢(本社:京都市左京区、代表取締役社長:髙橋拓也、以下「童夢」)は、カーボンコンポジット(炭素繊維強化炭素複合材)の製造で、台湾に大規模な生産拠点を持つKCMGコンポジットインターナショナル(CEO:ポール・イップ、本社:アイルランド/ダブリン、以下「KCMG-CIL」)と業務提携する。
この提携により、童夢はKCMG-CILの技術開発パートナーとしてカーボンコンポジット製品の設計・エンジニアリング、及び日本含むアジア全般における営業拠点としての機能を担う。
軽量で頑丈、そして熱にも強い特性をもつカーボンコンポジットは、いまやレーシングカーだけでなく、航空機、ロケットなどの重要構成パーツとして用いられているのはもちろん、カメラのボディや自転車のフレームといった一般生活に密着した製品に至るまで、あらゆる産業分野で使用されるマテリアルとなってきている。
カーボンコンポジット産業をグローバルで展開へ
童夢では、この素材の潜在能力に1980年代から注目し、モータースポーツという過酷な実戦を通じて、その研究開発に従事。数え切れないほどの試行錯誤と、多くの成功体験から、世界でも屈指のノウハウと開発生産技術を取得するに至った。
そして童夢カーボン・マジックや、童夢コンポジット・タイランドといった独自の生産拠点を整備し、多くの設計、開発、生産の実績を残してきた。
しかし、2013年に童夢カーボン・マジックを、東レ株式会社へと売却した今、童夢単独での事業展開には限界が見えてきており、これが同社にとって早急に克服すべき課題となっていた。
KCMG-CILと、互いのパフォーマンスを最大限に発揮できるコラボ体制へ
一方、台湾に大規模な生産拠点を持つKCMG-CILは、その高い生産性と品質を最大限に活かすことのできる製品開発技術とノウハウを必要としていた。
今回の業務提携は、いわば開発に関する頭脳をもつ童夢と、最先端のクラフトマンシップをもつKCMG-CILが、お互いのもつパフォーマンスを最大限に発揮するコラボレーションとなる。
童夢とKCMG-CILでは、40年培ってきたレーシングカーの設計・開発受託の技術的なノウハウと、大規模な拠点を備えるKCMG-CILの製造、物流のノウハウを融合することにより、高い品質と価格競争力を備えたカーボンコンポジット製品の受注開発が可能になり、日本国内だけでなく、グローバル規模でカーボンコンポジット産業の成長をリードできるとしている。
炭素繊維を出発点に生まれたカーボンコンポジット
カーボンコンポジットは、炭素繊維によって強化されたプラスチックである。炭素繊維とは、衣服の原料等で馴染みのアクリル樹脂や石油、石炭からとれる有機物を繊維化して、特殊な熱処理工程を施すことにより作られる「黒鉛結晶構造を持つ繊維状の炭素物質」である。
炭素繊維の最大の特長は、軽く強いこと。比重が1.8前後と鉄の7.8に比べて約1/4、アルミの2.7と比べても軽い。
その上に強度、弾性率に優れ、比強度が鉄の約10倍、比弾性率が鉄の約7倍と優れている。このためカーボン素材は、レーシングカーのモノコックやシャシー、ブレーキの素材として使われているほか、航空機の機体、宇宙ロケットの筐体などにも使用されている。
こうした多くの優位点がある一方で、カーボンコンポジット製品はその製造方法上、熟練した職人の手作業が必要不可欠な工程を経なければならない。
このため、製造に時間と手間が掛かり、機械化が困難であることから大量生産には向かないと永らく言われてきた。しかし今回の提携により、童夢とKCMG-CILでは、よりスピーディーに顧客ニーズに応えられるカーボンコンポジット製品を開発・製造できるようになるとしている。
KCMG コンポジットインターナショナルについて
KCMG-CILは、本拠地であるアイルランドのダブリンのR&Dセンターをはじめ、香港に財務管理の拠点があり、台湾には自動車、航空、交通、医療などあらゆるカーボン製品の大量量産にも対応可能な製造施設を構える、世界でも稀に見る大規模なカーボンコンポジット会社である。
KCMG-CILのCEOであるポール・イップ氏は、2007年にKC Motorgroup Limitedを創業。
創業者のポール・イップ氏自身が、ドライバーとしてレースに参戦するなど、チームとして世界中の自動車レースで活躍。2015年にはル・マン24時間耐久レース(LMP-2クラス)でクラス優勝・総合9位入賞を果たすなど大きな成果を挙げている。
ポール・イップ氏は、こうしたレースにおける活躍の中で、自動車の製造に不可欠な素材であるカーボンコンポジットに注目。高い品質とコストパフォーマンスを打ち出すためには、大きな生産拠点を持つことが必要不可欠であると考え、台中(台湾)に13,000平方メートルの施設と100人以上の従業員を持つ大規模な工場を設立した。
2016年11月より着工予定の新工場は、2020年までに、台湾において51ヘクタールの敷地に、5,000人以上の従業員を抱え、世界最大のカーボン工場の稼働を目指している。
童夢は新社屋を拠点にモノづくり産業のリーディングカンパニーを目指す
一方、株式会社童夢は、1975年に“零”と名付けられたロードゴーイング・スポーツカーの開発から始まった。
圧倒的なインパクトをもつデザイン、ロゴマークを含む細部のディテールまで徹底的に拘った仕上げ、そして発表の舞台を海外とし、メディアを積極的に活用した斬新なプロモーション方法。
さらにモノコックシャシーや各種電子装備など、将来を見据えた技術開発の末に生まれた童夢-零は、カロッツェリアとしての感性と、コンストラクターとしての知性を融合させた、当時の日本では画期的なプロジェクトであった。
その後、1979年に零の後継車であるP-2を携え、アメリカに渡り“DOME USA.INC”を設立。同年に零-RLでル・マン24時間レースに挑戦するなど、常に世界を活動の場に選んできた童夢は、1980年代に日本初の本格的グループCカーを開発した。
その後、TOM’S、トヨタとタッグを組んで国内外で活躍。またカーボンファイバーの可能性にもいち早く着目し、鈴鹿8耐用のオリジナル・マシン“ブラックバッファロー”の製作や、オリジナルF3000を開発、他社に先がけて25%スケールの風洞実験設備を開発・設営するなど、長きにわたり、日本離れしたダイナミックな発想力と行動力でモノづくりを行ってきた。
1994年からはF1への挑戦を開始。1995年からはホンダ・アコード、NSXによるJTCC、JGTCの開発。さらにLMPカーによるル・マンへの度重なるチャレンジ。
加えて50%スケールの風洞実験設備“風流舎”の建設。カーボンコンポジット(CFRP)開発/生産のための“童夢カーボン・マジック”の設立といった近年の動きも、すべて突発的に起こったものではなく、一連の流れと経験の蓄積があったからこそ生まれた。
しかし2013年に童夢カーボン・マジックを東レ株式会社へ売却し、2014年に“風流舎”をトヨタ自動車株式会社へ売却した。
2015年に創業40周年を迎え、創業者である林みのる氏が代表取締役を退任。童夢は大きな個転換期を迎え、高橋拓也による新体制となった。
2016年5月10日には、敷地面積3,917.11平方メートル、延床面積約3,100平方メートルの新社屋を米原駅前(滋賀県米原市梅が原2462番地)に竣工した。
新社屋は童夢らしい、近未来を感じさせる先進的なデザインの建物内は、レイアウトマシンも新調され、これまで以上に高精度な最終組立て調整工程を効率よく行える環境が整ったとしている。
<代表取締役社長 髙橋拓也氏 略歴>
株式会社リクルート入社後、リクルートの米国法人設立メンバーの一人として人材採用関連の新規事業及び旅行関連事業開発を行う。
退社後、航空会社やクレジットカード会社などの外資系企業向け広告代理店を設立。マーケティングや広告戦略をプランニングするスペシャリスト集団を養成。
その後、株式会社ジャニーズ事務所取締役・株式会社ジェイ・ストーム取締役・株式会社ミュージックマインド取締役・株式会社アートバンク代表取締役を兼任し、タレントの肖像権管理・商品の開発・イベント・マーケティング・デジタル音楽配信事業を推進。2015年より、株式会社童夢 代表取締役社長に就任した。