ホンダ、F1プロジェクトの2018年体制を大幅刷新へ


本田技研工業株式会社(本社:東京都港区、社長:八郷隆弘、以下、ホンダ)は、F1ことFIAフォーミュラ・ワン世界選手権を、来季2018年に新たなパートナーシップを組んで再始動させるにあたって、運営体制そのものを参戦初年度から大きく変更していくことになった。

その経緯は今季の夏にまで遡る。当時、マクラーレンとの不仲が囁かれ、来季のホンダ製パワーユニットの搭載チームが当初、Sauber F1 Team(ザウバー エフワン チーム)になるものとみられていた。しかし突如、7月27日になって同チームへのF1エンジンの供給計画を白紙化したと発表。

その2ヶ月後の9月15日の金曜日。全長5.065kmのマリーナ・ベイ・サーキットで開催されたシンガポールグランプリでの初日フリー走行後の時点で、ようやく2017年シーズンを以て継続してきたマクラーレンとのパートナーシップ解消を公表した。

そして新たにScuderia Toro Rosso (スクーデリア トロ・ロッソ)とのパートナーシップのスタートで合意。同チームをワークスチームにホンダ製パワーユニットを供給する体制を固めた。

これを踏まえたホンダ側の新体制は、HRD Sakuraを担当する執行役員が研究開発とレース・テスト運営を統括する形に変わる。

一方、現場の指揮に専念するテクニカル・ディレクターを新たに設置。初代テクニカル・ディレクターには田辺豊治が就任し、これまでのF1プロジェクト総責任者のポジションが廃止されることになった。

それに伴い、F1プロジェクト総責任者の長谷川祐介氏は退任となり、2018年1月1日付で本田技術研究所の主席研究員に移動となる。

この体制変化に伴う同社人事は以下の通り。


田辺豊治(たなべ とよはる)
・新職: ホンダR&DヨーロッパU.K. F1テクニカル・ディレクター(2018年1月1日付)
・現職: ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD) シニア・マネージャー


長谷川祐介(はせがわ ゆうすけ)
・新職:本田技術研究所 主席研究員(2018年1月1日付)
・現職:本田技術研究所 主席研究員 F1プロジェクト総責任者


このF1運営体制の変更ついて、ホンダの執行役員でブランド・コミュニケーション本部長の森山克英氏は、「これまで、F1プロジェクト総責任者が担っていた技術開発と、レース現場指揮監督の責任範囲を分離し、開発とレース・テスト現場それぞれが、よりスピーディーに業務を遂行できる体制へと進化させます。

開発現場とレース現場が各々の役割をしっかり果たすことで、Toro Rosso Hondaが上位争いをする姿を一日でも早くお見せできるよう挑戦を続けてまいります。引き続き皆さまの応援をよろしくお願いします」と語っている。

ホンダのフォーミュラ1に取り組む体制は、過去を知る筆者にとっても実に残念なことだが、初年度より、永らく迷走が続いている。

同社が再び参戦を果たした2015年。F1プロジェクト初代総責任者に新井康久氏が就任。

その後、同プロジェクトの低迷を受けて、かつてF1第3期にジャック・ビルヌーブと切磋琢磨してマシン開発に関わり、後の米国内に於けるレースシーンでも豊富な実績を持つ長谷川祐介氏が、同プロジェクトを立て直すべく責務を引き継いだ。

しかし今回、結果を残す充分な猶予が与えられず解任となり、遂に、この制度自体が廃止される。

換わって2018年の新体制下では、先の通りホンダのブランド・コミュニケーションを仕切る森山克英執行役員が指揮を取り、対して現場は、初代テクニカルディレクターとして田辺豊治氏を置いた。

そもそも総責任者がプロジェクトを率いる体制そのものは、1960年代にマン島TTレースを制して以来、ある意味ホンダの伝統に則ったもの。

おそらく同社内でも、そのように考えられていたものと思われるが、そんな表面上からステレオタイプに見られていた企業体質も、長年の歴史の蓄積のなかで過去のホンダとは大きく変化。

もはや総責任者体制を敷くなかでは、ハブ役となる中核担当が孤立したり、決定に至る過程で課題を抱えてしまったりと、様々な戦略が裏目に出てしまう結果になったようだ。

ここで一旦考えてみると、そもそもホンダという企業は、本来フラットな企業風土を背景に、いつ如何なる時でも、また役職をも超えて自由闊達に意見交換を行える「ワイガヤ(膝をつき合わせてのディスカッション)」な企業風土を美点としていた。

今回の体制変更は、旧きホンダを知る同社の役員達が、よかれと思って過去3年間に亘って敷いたプロジェクトの総責任者体制が、むしろボトルネックとなってしまっていたことから、これを廃止。

新体制は、研究所内部の意見を拾うことができるとする森山執行役員が、自身の裁量範囲を調節することにより、過去のホンダの美点であるフラットな「走る実験室」的な開発体制の再現を目指しているとものと見られる。

なお以下は、田辺豊治氏の略歴となる。

  • 1984年:
    本田技研工業(株)入社
  • 1990~92年:
    McLarenホンダ、ゲルハルト・ベルガー担当エンジニア
  • 1993~03年:
    IndyCar エンジン研究、レースエンジニア
  • 2003年:
    B・A・Rホンダ、ジェンソン・バトン担当チーフエンジニア
  • 2004~05年:
    B・A・Rホンダ、ジェンソン・バトン担当チーフエンジニア
    兼ホンダレース・テストマネージャー
  • 2006~07年:
    ホンダRacing F1チーム、ジェンソン・バトン担当チーフエンジニア兼ホンダレース・テストマネージャー
  • 2008年:
    本田技術研究所 F1開発責任者
  • 2009~13年:
    本田技術研究所 量産エンジン開発
  • 2013~17年:
    HPD シニア・マネージャー 兼 レースチーム チーフエンジニア