アメリカンホンダとホンダ・レーシング・コーポレーション(HRC)は9月27日(ミシガン州デトロイト)、伝説のF1ドライバー、故アイルトン・セナ氏の米・自動車殿堂(Automotive Hall of Fame)入りを自らのプレスリリースを介して祝福した。
米・自動車殿堂は、モビリティと自動車の革新に永続的な影響を与えた個人を表彰する、業界で最も権威のある栄誉のひとつ。
9月25日にデトロイトで開催された自動車殿堂入り式典では、モータースポーツへのセナ氏の並外れた貢献と、自動車の革新と衝突安全への永続的な影響が称えられた。
セナの殿堂入りは、F1における彼の輝かしい成功を称えるだけでなく、飽くなき情熱、比類なきドライビングスキル、そして不屈の精神を称えるものと言える。
またモータースポーツ史に於ける様々な瞬間に於いて、セナは、ホンダと深く結びついていた。
ホンダとセナのパートナーシップは、世界中のファンとエンジニアに今もなおインスピレーションを与え続ける、忘れられない偉業を残している。
そこでホンダは、この節目を記念し象徴的な1992年式マクラーレン・ホンダMP4/7 F1マシンを披露した。このマシンは、セナの伝説的なキャリアを象徴するレースマシンであり、彼の功績とセナとホンダの永遠の絆を象徴するものだったからだ。
加えてF1マシンの披露に加えて、セナ時代のホンダF1チームのメンバーで、現在はHRCサクラに所属する田辺豊治氏は同式典に於いて、「アイルトン・セナ氏とご家族の皆様に、自動車殿堂入りを心よりお祝い申し上げます。
ホンダにとって、創業者である本田宗一郎氏と藤沢武夫氏に続き、セナ氏が自動車殿堂入りを果たすことは大変光栄です。本田氏はセナ氏と親しい関係にありましたので、このニュースをきっと喜んで頂けると思います。
セナの殿堂入りは、勇気、情熱、そして揺るぎない完璧さへの追求によって特徴づけられた彼のキャリアを称えるものです。F1での11シーズンを通して、セナは以下の功績を残しました」と述べ、以下を筆頭とするそれら数々の足跡を称えた。
- 3回の世界選手権(1988年、1990年、1991年)
- 41回のグランプリ優勝
- 65回のポールポジション
- 80回の表彰台
- モナコグランプリで6回の優勝(これまでのドライバー最多優勝)
しかしセナは1994年5月1日、イタリアのイモラで開催されたサンマリノグランプリで首位を走行中に事故に遭い、享年34歳で悲劇的な死を遂げた。
それがトラックでの功績のみならず、モータースポーツの安全基準の大きな進歩にも繫がった。
ホンダでは、「モータースポーツと自動車の革新に於けるセナの功績が、今もなおホンダのチャレンジ精神の不可欠な一部であり続けていることを誇りに思います。私たちは、彼の情熱とビジョンを未来へと引き継いでいくことに尽力していきます」と結んでいる。