トヨタ自動車株式会社(本社 : 愛知県豊田市、代表取締役社長 : 豊田章男)は1月6日・土曜日の16時19分、同社顧問(元代表取締役社長)豊田達郎氏の逝去を発表した。
トヨタグループの始祖で「豊田綱領(*)」を生んだ・豊田佐吉氏を祖父に持ち、トヨタ自動車工業創業者、豊田喜一郎氏の二男にあたる。
トヨタ自動車名誉会長で、工販統合(トヨタ自動車工業と、トヨタ自動車販売の統合)後の初代社長を務めた豊田章一郎氏(第6代)は実兄となる。
現在のトヨタ自動車社長、豊田章男氏は甥にあたる。創業家の豊田家出身者である章男氏の社長就任は、1995年8月に退任した豊田達郎以来14年ぶりのことであった。
来歴では1929年6月1日生まれ・愛知県名古屋市白壁町出身。東京市赤坂の父・喜一郎邸から東京都立第一中学校に通う。
その後、第一高等学校を経て、1953年に東京大学工学部機械工学科を卒業。ニューヨーク大学経営大学院にて経営学修士(MBA)を取得している。
トヨタへの入社は、父・喜一郎没後の1953年。トヨタ自動車販売に入社した。入社21年後の1974年に取締役。1980年にトヨタ自動車販売取締役。1982年の工販合併でトヨタ自動車常務に就任した。
1984年にフリーモント準備室長として、トヨタ自動車とゼネラルモーターズの合弁新会社「ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング」(NUMMI)を設立して初代社長に就任。
その後、トヨタ自動車専務、副社長。そして1992年、米国駐在経験を持ち温厚、当時トヨタが米国・欧州の現地生産体制を敷くなか、中国を含めた国際戦略のまとめ役として期待されて豊田章一郎氏の後を継ぎ社長(後半合併後の第2代、工販分離前から数えると第7代)に就任した。
以降、社内技術部門の改革を断行するなどの事業体制の刷新などで活躍していたのだが1995年に道半ばで病気療養のため、奥田碩氏に社長職を譲り、取締役副会長に退いて、さらに取締役相談役となる。
1996年に経済同友会副代表を務めた他、日本自動車工業会最高顧問、豊田中央研究所代表、学校法人トヨタ学園理事長(第2代)、公益財団法人トヨタ財団会長(第2代)などを歴任した。2017年12月30日、肺炎のため逝去・88歳。
以下は主な経歴となる
氏名:豊田 達郎(とよだ たつろう)
生年月日:1929年(昭和4年)6月1日生
逝去日時:2017年12月30日(土)午後7時20分
通夜・葬儀:近親者にて内々に執り行われた。
喪主:豊田 絢子さん(とよだ あやこ、続柄:御令室)
連絡先:トヨタ自動車株式会社 トヨタインスティテュート(元秘書部)
備考:後日「お別れの会」が行われる予定。
学歴:昭和28年3月:東京大学工学部機械工学科卒業
主な職歴
昭和28年4月:トヨタ自動車販売株式会社入社
昭和49年11月:トヨタ自動車販売株式会社取締役就任
昭和55年9月:トヨタ自動車工業株式会社取締役就任
昭和57年7月:トヨタ自動車株式会社に社名変更
昭和57年9月:トヨタ自動車株式会社常務取締役就任
昭和59年2月:ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング株式会社取締役社長就任
昭和61年9月:トヨタ自動車株式会社専務取締役就任
昭和63年9月:トヨタ自動車株式会社取締役副社長就任
平成4年9月:トヨタ自動車株式会社取締役社長就任
平成7年8月:トヨタ自動車株式会社取締役副会長就任
平成8年6月:トヨタ自動車株式会社取締役相談役就任
平成10年6月:トヨタ自動車株式会社相談役就任
平成26年7月:トヨタ自動車株式会社顧問就任
主な現兼職
平成23年6月:株式会社国際経済研究所取締役
平成28年6月:株式会社コンポン研究所取締役
主な現公職・団体職
平成3年2月:International House Intl.Trustee
平成23年6月:学校法人トヨタ学園豊田工業大学名誉理事長
平成23年6月:公益財団法人トヨタ財団名誉会長
平成25年10月:Toyota Technological Institute at Chicago Honorary Chairman
賞罰
平成4年4月:藍綬褒章
平成6年10月:ブラジル連邦共和国南十字国家勲章
平成11年11月:勲一等瑞宝章
平成12年5月:デンマーク王国ダナブログ勲章ナイト章
(*)豊田綱領
一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を拳ぐべし
一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし
一、華美を戒め、質実剛健たるべし
一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし
一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし