三菱自動車工業、岡山県とEV産業連携協定を締結


三菱自動車工業株式会社(本社:東京都港区、取締役CEO:益子修)は8月7日、岡山県と共に「EVシフトに対応した産業と地域づくり」に係る連携協定を締結した。

これは三菱自動車工業の電気自動車(EV)及びプラグインハイブリッド電気自動車(PHEV)に関する強みを岡山県との双方が保有する経済・産業・地域資源を背景に有効活用し、同県内でEVシフトに対応した産業振興と地域づくりに取り組んでいくというもの。

そもそも三菱自動車工業は、倉敷市水島海岸通の水島製作所でEVを生産し、多くの自動車部品を県内の取引先から購入している。対して岡山県は、今年度から5年間を目処にEVシフトへの対応の推進事業期間としており、全国に先駆けてEVシフトに対応した産業と地域経済の実現を目指している。

そこで双方は今回締結に至った協定で、(1)県内企業のEV・PHEVに関する新技術及び新製品の開発支援に関すること。(2)EVシフト対応に向けた県内企業への積極的な情報提供に関すること。(3)EV・PHEVの普及啓発に関すること。(4)その他の事項に関連し、地域の活性化につながること。と云うこの4つを主な取組事項として掲げた。

これを受けて三菱自動車工業は、EVの構造研究等への技術協力や充電環境の整備促進などの分野で岡山県に対して積極的に協力していく予定だと云う。

実は、岡山県下での地場産業活性化の流れは数年前より進んでおり、例えば、一昨年前の三菱自動車工業による燃費不正で、三菱ブランド並びに日産ブランドの軽自動車生産が大きく減速した際、水島製作所では総生産30万台強のうち20万台の生産が停止した。

しかし一方でEVのi-MiEVと輸出向けのギャランフォルティスの生産は続くなど、当地に於ける経済影響が少しでも抑えられたのは軽自動車生産への依存がある程度進んでいたためとされる。もちろん、それでも多くの部品会社が工場の一部や全体の操業を停止。従業員の自宅待機措置も行われた。

そんな水島地区(水島臨海工業地帯)は岡山県三大河川のひとつである高梁川の河口に広がる日本有数の工業地帯である。ここは戦前に於いては、漁業と干拓農業を主とする農漁村だったのだが、1950年代に当地の行政府が音頭を取った経済拡大戦略を推進。

1953年に大型船舶の入港を可能にする浚渫(しゅんせつ)を着手(これが現在の玉島ハーバーアイランドの水島港国際コンテナターミナルになった)。1934年には、地元産業の高度化を求めて三菱自動車工業の水島製作所(当時の三菱重工業・航空機製作所水島工場)を迎え入れた。これにより当地の中小商工業の発展を推し進めた結果、同地域の製品出荷額は、岡山県全体のおよそ半分を占めるまでに成長。当地の県民生活の向上を相次いで実現してきた経緯がある。

但しその後、国内経済のバブル崩壊を経て2000年を迎えた時期より、当地の鉱工業経済の減速が進み、2009年3月27日には、三菱自動車水島製作所が67年間に亘って経営していた地域医療の拠点の三菱水島病院(同市水島高砂町)が惜しまれつつ閉院するなど、三菱自動車工業の影響が潮を引くように希薄化するなか、20年近く掛けて同社に頼らない地域経済実現も求めてきている。

しかしそれでも三菱自動車工業の水島製作所が、鋳物加工からエンジン組立て、さらにプレス加工から最終組立てまで車作りの全行程作業が存在する世界でも例の少ない一貫生産工場であること。また永らく岡山を支えてきた地場産業の礎であることに変わりはなく、それが今回の産業連携を踏まえた締結式に繫がったのだろう。

そんな双方による協定締結式は8月7日に岡山県庁で実施。この席に伊原木隆太知事と三菱自動車工業の益子修CEOが共に出席して協定書に調印した。

この際に益子CEOは「伊原木知事には大きな道筋を引いて頂いた。岡山県内の企業やこの地域に住まわれる皆様に、これまで以上の貢献ができるよう、岡山県と共にこの取組みを推進していきます」と話していた。