鈴鹿8耐にMotoGPライダーのジャック・ミラー選手が参戦

「YAMAHA RACING TEAM」からのワークス参戦

ヤマハ発動機(本社:静岡県磐田市、代表取締役社長:設楽元文)は5月26日、「Prima Pramac Yamaha MotoGP(プリマ・プラマック・ヤマハMotoGP)」からMotoGP世界選手権に参戦しているジャック・ミラー選手が、ヤマハ・ファクトリーの「YAMAHA RACING TEAM」から「2025 FIM世界耐久選手権 “コカ·コーラ” 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第46回大会」に参戦する。

ミラー選手にとっては8年ぶりの同大会出場となる。チーム・マネジャーは吉川和多留氏、チームメイトの一人には鈴鹿8耐で豊富な経験を持つ中須賀克行選手となっている。

鈴鹿8耐は日本最大級のモーターサイクル・レースのひとつで、2025年大会は、今年創立70周年を迎える同社にとって特別な意味があるという。

ヤマハ発動機は1955年7月1日に創立し、その僅か9日後の7月10日、第3回富士登山レースで、初号機「YA-1」とともに初のレースに出場(弊誌・過去記事参照)した。

この重要な節目を記念して当社は鈴鹿8耐に、2019年以来6年ぶりとなるファクトリー体制での参戦となる。

ミラー選手本人は2017年の鈴鹿8耐に参戦。表彰台には僅かに届かず4位だったが、耐久レースの魅力に触れて以来、2度目のチャレンジを熱望。そうした経緯からファクトリーチームの一員となることが決定した。

チームメイトのひとりには、先の通り2015〜2018年に鈴鹿8耐4連覇に貢献し、全日本ロードレース選手権JSB1000で12回に亘ってチャンピオンに輝いた経験豊富な中須賀選手が決定。

3人目のライダーは今年のスーパーバイク世界選手権に参戦するライダーから選出し近く発表される予定だ。

チーム監督には、1990年代に当社のファクトリーライダーとして活躍し、1999年に鈴鹿8耐に出場。その年に全日本ロードレース選手権でスーパーバイクのタイトルを獲得した吉川和多留氏が務める。

「YAMAHA RACING TEAM」は、来たる7月3〜4日の2日間、プライベート・テストを予定。鈴鹿8耐は、約1ヵ月後の8月1日(金)に開幕。初日にフリープラクティスと予選セッション、2日目にはトップ10トライアル、3日目の8月3日(日)に決勝を迎える。

この挑戦について小野哲(MS統括部 MS戦略部長)は、「当社にとって創立70周年を迎える今年、レース部門における大きな活動の一つが鈴鹿8耐へのファクトリー参戦です。

私たちが70年積み上げてきたチャレンジの新たな1ページとして、鈴鹿8耐では勝利を目指すとともに、70年間、支えてくれた世界中のファンの皆さんに感動を届けるべく、最高のライダーラインアップを模索してきました。

そしてこのたび二人目のライダーを、MotoGPに参戦するジャック・ミラー選手に決定しました。

MotoGPではダブルファクトリーの一角を担い、テスト・開発での貢献はもちろん、開幕戦からその戦う姿勢でヤマハチーム全体を引っ張り、前進する大きな力を与え続けてくれているとても大切な存在です。

更に鈴鹿8耐の経験もあり、優勝を目指すYAMAHA RACING TEAMにとってこれ以上ないライダーです。

ミラー選手にはMotoGPと同様、経験と知見、情熱と闘志をチームに注いでもらい、世界中のファンの記憶に残るレースを共に披露しますのでぜひご期待ください。そして3人目のライダーについては後日あらためてご報告しますので、楽しみにお待ちください」と話している。

またジャック・ミラー選手は、「鈴鹿8耐でヤマハを代表して走れることを誇りに思います。

2017年にヤマハに敗れて4位となったときからずっと、もう一度挑戦したいレースでした。その権威あるレースで今回はYZF-R1を駆り、ファクトリーチームであるYAMAHA RACING TEAMの一員として戦えることは大きな喜びです。

ヤマハのホームレースで好成績を獲得したいと思います。日本のファンの熱い応援も楽しみにしています」と語った。

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以下参考
ミラー選手はダート・レーシングからキャリアをスタートし、2009年にロードレースに転向。IDM125(Internationale Deutsche Motorradmeisterschaft)でチャンピオンを獲得したあとロードレース世界選手権のGP125にデビューし、フル参戦を開始。

「Racing Team Germany」から出場した2013年にトップ争いの常連として注目を集め、翌2014年は「Red Bull KTM Ajo」に加わりランキング2位。そして2015年には「LCR Honda team」に移籍し、Moto3から直接、MotoGPにステップアップした。

ルーキー・シーズンこそ苦戦したものの、2016年に「Marc VDS Honda」に移籍。足を骨折した状態でシーズンをスタートしていたにもかかわらず、激しい雨の中で行われたオランダGPで初優勝するなど何度もトップ10に入る活躍が評価され、2017年も契約を継続。

ここでもまた印象的な走りで注目を集めたミラー選手は2018年にPramac Racingに移籍し、マシンをホンダからドゥカティに乗り替えた。

この年、ミラー選手はアルゼンチンGPでポールポジションを獲得するなど素晴らしいシーズンを経験して成長し、より一層競争力を上げ、同チーム2年目の2019年は表彰台を5回獲得、3年目の2020年も4回獲得と安定した強さを見せ、翌2021年にはファクトリーチームへの移籍を果たした。

ドゥカティ・ファクトリーとしての1年目は、優勝2回を含め表彰台を計5回獲得し、ランキング4位と過去最高のシーズンを送った。

2022年は日本GPで優勝を果たした他、7回の表彰台獲得という活躍を見せ、チームメイトのF・バニャイア選手の初タイトル獲得を後押ししながら、自身も合計189ポイントを手中にして、ランキング5位という好成績を残した。

ドゥカティで5シーズンを過ごしたミラー選手は、2023年にKTMへ移籍。同年はスペインGPでスプリントと決勝の両レースでいずれも3位表彰台、ドイツGPでもスプリントで3位の活躍を見せたものの、ランキングは11位に後退。続く2024年は苦戦が続き、ランキング14位に留まった。

ひんなミラー選手は2025年、パオロ・カンピノーティ氏率いるPrima Pramacに戻り、ヤマハ発動機のファクトリーライダーのひとりとして「Prima Pramac Yamaha MotoGP」に加入。素早くYZR-M1に適応し、第3戦アメリカGPの5位を最高に開幕以来、活躍を続けている。

プロフィール
生年月日:1995年1月18日
出身地:オーストラリア・クイーンズランド州タウンズビル
国籍:オーストラリア
Instagram: @jackmilleraus
身長:173cm
体重:64kg

ハイライト
GPデビュー:2011年/ドイツGP (GP125)
初優勝:2014年/カタールGP(Moto3)
MotoGPデビュー:2015年/カタールGP
MotoGP初優勝:2016年/オランダGP
グランプリ優勝回数:10回(MotoGP/4回、Moto3/6回)
表彰台回数:33回(MotoGP/23回、Moto3/10回)
スプリント表彰台回数:2回(2023年/スペインGP、ドイツGP)
ポールポジション回数:10回(MotoGP/2回、Moto3/8回)

主な戦績
2025年:MotoGP世界選手権 ランキング17位(20ポイント) [第7戦イギリスGPスプリント終了時点]
2024年:MotoGP世界選手権 ランキング14位(87ポイント)
2023年:MotoGP世界選手権 ランキング11位 (163ポイント)
2022年:MotoGP世界選手権 ランキング5位 (189ポイント)
2021年:MotoGP世界選手権 ランキング4位 (181ポイント)
2020年:MotoGP世界選手権 ランキング7位 ( 132ポイント) [Pramac Racingから参戦]
2019年:MotoGP世界選手権 ランキング8位 (165ポイント) [Pramac Racingから参戦]
2018年:MotoGP世界選手権 ランキング13位 (91ポイント) [Pramac Racingから参戦]
2017年:MotoGP世界選手権 ランキング11位 (82ポイント)
2016年:MotoGP世界選手権 ランキング18位 (57ポイント)
2015年:MotoGP世界選手権 ランキング19位 (17ポイント)
2014年:Moto3世界選手権  ランキング2位 (276ポイント)
2013年:Moto3世界選手権 ランキング7位 (110ポイント)
2012年:Moto3世界選手権 ランキング23位 (17ポイント)
2011年:GP125世界選手権 ランキングNC ( 0ポイント)

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鈴鹿8耐におけるヤマハ発動機の歴史
ヤマハファクトリー・チームの鈴鹿8耐での歴史は、1985年に始まった。2002年までは世界で戦うスター選手を集めたファクトリー・チームをたびたび投入し、1987年、1988年、1990年、1996年の計4回、優勝トロフィーを花火が上がる夜空に高く掲げた。

2003年以降は、フルファクトリー体制でのエントリーを休止し、ヨーロッパを拠点にFIM世界耐久選手権にレギュラー参戦するヤマハ・チームのサポートを行ってきた。

2015年、自社・創立60周年および新型「YZF-R1」の発売を記念し、19年ぶりにファクトリー・チームを復活。

同年に5回目の優勝を果たすとその後も優勝を続け、2018年には「YZF-R1」の発売20周年を記念して、1998年の初代モデルの使用した、「YZF」、「R1」、「20周年記念」ロゴを配し、赤と白の特別カラーを纏った「YZF-R1」で参戦し4連覇を達成した。

2019年には、当社のエースナンバー「21」の起源にもなった1985年の「ヤマハTECH21チーム」で採用したカラーリングを復活。優勝争いを展開し、最終的には2位となり5連勝は逃したものの劇的なレースを繰り広げ、鈴鹿8耐の歴史に新たな物語を残した。

2020年と2021年は、新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大した影響により中止となり、2022年に再開。その後の3年間は「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」として参戦していなかったが、2024年には世界耐久選手権を戦う YAMALUBE YART YAMAHA EWC Official Team (YART)がヤマハトップチームとして参戦。

マービン・フリッツ選手がトップ10トライアルで2分05秒130をマークしてポールポジションを獲得しました。

同チームのポール獲得は2012年と2013年以来(いずれも中須賀克行選手が記録)、ヤマハ発動機にとっては、2015年から4年連続でのポールポジションとなった2019年(中須賀克行選手)以来となる快挙となった。

レースでは、ニッコロ・カネパ選手、フリッツ選手、カレル・ハニカ選手で構成されたYARTが、高温・高湿の厳しいコンディションのなかで見事な走りを披露し、最終的にウイナーと同周回の220ラップを走破して8耐史上最多記録を更新。

優勝は逃したが、トップに7.86秒差の2位を獲得した(’Team HRC with Japan Post’には最終ピットストップでの違反行為により40秒間のペナルティが与えられました)。なおYARTにとっては鈴鹿8耐で初となる表彰台でもあった。

2025年は、ヤマハ発動機の創立70周年を記念し、ファクトリー体制で鈴鹿8耐に出場する。

マシンのゼッケンは伝統の「21」とし、スペシャル・カラーを施した「YZF-R1」。このカラーリングは吉川氏が1999年に走らせた「YZF-R7」にインスパイアされリデザインしたもので、「YZF-R7」は同年、限定500台が世界に販売された。

参戦チームの名称は、1990年代後半に当社ファクトリーチームが使用した「YAMAHA RACING TEAM」。チームロゴも当時のものをモチーフにしており、ライダーおよびチームスタッフのウエアやガレージの外観にも1999年のデザインが取り入れられる。

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鈴鹿8時間耐久ロードレースでの優勝年とマシン・ライダー
1987年:SHISEIDO TECH21 RT(YZF750:M・ウィマー、K・マギー)
1988年:Team Lucky Strike Roberts(YZF750:K・マギー、W・レイニー)
1990年:SHISEIDO TECH21 レーシング(YZF750:平忠彦、E・ローソン)
1996年:YAMAHA RACING TEAM(YZF750:C・エドワーズ、芳賀紀行)
2015年:YAMAHA FACTORY RACING TEAM(YZF-R1:中須賀克行、P・エスパルガロ、B・スミス)
2016年:YAMAHA FACTORY RACING TEAM(YZF-R1:中須賀克行、A・ローズ、P・エスパルガロ)
2017年:YAMAHA FACTORY RACING TEAM(YZF-R1:中須賀克行、A・ローズ、M・ファン・デル・マーク)
2018年:YAMAHA FACTORY RACING TEAM(YZF-R1:中須賀克行、A・ローズ、M・ファン・デル・マーク)