三菱自動車工業(本社:東京都港区、代表執行役CEO:加藤隆雄) は8月31日の午後、同社の特別顧問(元取締役会長 代表執行役)であった益子修が先の8月27日(木)に逝去したと発表した。(坂上 賢治)
同発表に際して三菱自動車工業CEOの加藤隆雄氏は「生前皆様から賜りましたご厚情に、故人に代わりまして、厚く御礼申し上げます」と語り、さらに同社からは「故人の遺志により、〝お別れの会〟の開催予定はございません。なお、香料・供花は固くご辞退させていただきます。何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます」と結んでいる。
益子 修(ますこ おさむ)氏は、1949年2月19日生(享年71歳)、心不全による逝去となった。なお通夜・葬儀:近親者にて内々に執り行ったとしている。
同氏は、早稲田大学を経て1972年に三菱商事に入社。自動車事業本部長を務めた後、三菱自動車工業のリコール隠し問題が深刻化した2004年に三菱グループからの支援で三菱商事から三菱自動車工入りし、翌2005年1月に取締役社長に就任。「三菱自動車再生計画」を策定・実行し、同社の立て直しに尽力した。
以降、選択と集中の方向性を掲げて身の丈に合った経営を目指しつつ、環境負荷の低い世界初の量産EV(電気自動車)『i-MiEV』や、世界初の4WD SUVのPHEV(プラグインハイブリッドEV)『アウトランダーPHEV』に代表される環境に優しい先進的な車両の開発を主導的に進めた。
さらに現在、国内市場だけでも強豪企業が犇めく自動車マーケットに於いて、今や同社の強みとなっているアセアン地域で、益子氏ならでは人柄と幅広い人脈を駆使。多数の国に於いて現地生産を成功させ、販売事業を牽引した。
2014年には会長となったが、その翌々年の2016年、新たに燃費不正問題が発覚。これを契機に日産自動車・ルノーとの3社連合の結束強化を推し進めた。
しかし先の8月7日に突如、健康上の理由を掲げて退任を発表し特別顧問に就任。自身としては今後も、特別顧問として同社を支援していくとしていたばかりだった。
以上、益子氏は三菱自動車工業で都合16年間に亘り、協力会社、アライアンス各社、三菱グループの経営者との良好なコミュニケーションを温め信頼関係を構築。経営手腕を振るって多くの困難を乗り切り、同社で多大な功績を残した。
特に三菱商事との繋がりが強かった益子氏ゆえに、今後も3社連合の行方については、一定の役割を果たしていくものと見られていたなか、三菱自動車工業にとっても大きな損失になった。
益子 修の略歴は以下の通り
氏名:益子 修(ますこ・おさむ)
生年月日:1949年2月19日生まれ
学 歴:1972年3月 早稲田大学 政治経済学部 経済学科 卒業
略 歴:
1972年4月:三菱商事株式会社 入社
2003年4月:同社 執行役員、自動車事業本部長
2004年6月:三菱自動車工業株式会社 常務取締役 海外事業統括部門担当
2005年1月:同社 取締役社長 企業倫理担当役員
2007年10月:同社 取締役社長
2014年6月:同社 取締役会長 兼 CEO
2016年6月:同社 取締役会長 兼 取締役社長 CEO
2016年12月:同社 取締役社長 CEO
2017年6月:同社 取締役 CEO
2018年11月:同社 取締役会長 兼 CEO
2019年6月:同社 取締役会長 兼 代表執行役
2020年8月:同社 特別顧問